通信大学失敗した反省が無さすぎるハゲマル
ハゲマルは、2015年に2回目の大学生活を
志した。大学は卒業したが学び直したい
箇所が多くあり、日本大学の
通信教育部の門戸を叩いたのだ。
当時、46歳になったばかりの9月終わり
台風通過が近い嵐の朝でした。
たまたま、担当していた営業所が
母校に近かった。23年ぶりの母校は
きれいになっていて少し緊張したのを
覚えている。46歳のおじさんを
大学職員と間違えて挨拶する女子大生
成績証明書と卒業証書書を貰うのだが
いつ?入学されました?と聞かれたので
昭和63年の法学部です。学籍番号は
△○✕✕番ですと、どうやら、いまでは
15L0653みたいな感じらしく
紙製だった学生証はプラスチックとなり
授業の入室などに使うらしい。
学内はwifiで繋がっている。全てが
新しい。PCでメールで担当教官に
レポートを提出している。
勿論、ハゲマル時代は実家に送りつけられた成績表もオンラインでサクサク見れる
時代なのだ。母校で貰った成績証明書やら
卒業証明書を鞄に入れて営業所に向かった。
日大通信の資料は整い、いざ、勉学に
励んでみた。手書きのレポートが煩わしく
何度も書き直しを命じられた。
レポートを2つ通さないと試験が受験
出来ないシステムの為、方々資料を
集め、とにかく頑張った。
教科により簡単にレポート合格をくれる
教官もいたがなかなかくれない強者が
いた。一般にレポート合格のハードルが
低いところほど試験のハードルが高く
レポート合格のハードルが高いところほど
試験のハードルが低い。つまり、
レポート合格のハードルが高いところは
メディア授業で合格を目指すわけなのだが
このメディア授業が曲者だ。何せ、
ベテラン教授の解説が眠くて仕方なく
ついにYouTubeのヒカキンやら釣り動画に
はまりだし、勉強しなくなった😖💦
結果、やる気が出ずに退学したのだった。
それをまたまた65歳でやるの?と言われ
頭をかきむしる52歳衰え隠せない
ハゲマルでした😁
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